夏目漱石原稿『道草』(複製)を入荷いたしました
日本近代文学館監修 2004年発行 二玄社
近年支配的になったワープロ原稿以前には、原稿はほとんどの場合肉筆で書かれた。それは植字工(文選工)の手で活字に転換され、紙に印刷されて市場に出た。現在でも、活版印刷であると写植であるとを問わず、大多数の読者は、整然とした活字字体を通して著作を読むのが普通である。漱石の作品も例外ではない。
こういう一般の読書行為に対して、原稿で作品を読むことはどういう意味を持つのだろうか。もちろんこの「道草」の複刻も、漱石のオリジナルではなく、発達した印刷技術が可能にしたコピイの一種にちがいはない。だがそこには、活字化される以前の、まぎれもない漱石の筆跡や、執筆中の苦心の跡がそのまま再現されている。
W・ベンヤミン「複製技術時代の芸術』が説くように、複製技術の開発は、作者のオーラ、その強烈な個性やビッグ・ネームが発する輝きを消したかもしれない。しかしそのさらなる発達は、完全ではないにせよ、ふたたびそれを感じさせることに成功したのである。この複刻版を通じて、すくなくとも漱石が一字一字の文字に託した思いは明瞭に伝わってくる。書いてある内容自体は同じでも、この『道草」は活字本の「道草」とは異質な、別系統のテクストである。読者は漱石山房の十九字詰原稿用紙にインクで記された崩し字を読み、奇妙な図形のように丹念に着された抹消部で立ち止まり、吹き出しで加えられた挿入部を追って、ゆっくりと進まなければならない。
それは漱石が営々と築いた小説世界の生成を、自分なりに辿ってみる行為である。彼はなぜこの表現を修正し、この語句を捕入したのか、またなぜこの語順を変更したのか。そこには、活子を速読する読書とは別次元の道が開かれる。

