『サン・ドニ修道院長シュジェール』の新入荷情報です
森洋訳編 中央公論美術出版
シュジェールについて:
シュジェールは、1081年頃に、イル・ド・フランスのChanneviere-les:Louvresで生れた」。この場所はRoissy-en-France(Seine-et-Oise, arr. Montmorency, C. Gonesse)の、現在のシャルル・ド・ゴール空港のあたりで、サン・ドニ修道院から十五キロメートル位の位置にある。事実サン・ドニ修道院の年忌録 (obituaire) 等から、シュジェールの父 Helinandus、その従兄 SugeriusMagnus、その甥 Sugerius miles、 シュジェールの兄弟Radulphusとその子や孫の名、そしてそれらの中で、一人は王の書記局長(cancellarius Simon, 1150-51)、一人はサン・ドニ修道院長(Hugo Foucaldus, t1197)、四人のパリ司教座聖堂付参事会員(そのうちの一人は同参事会の文書局長)が浮かび上って来た。この一族はこの地域に十一世紀末に定着したものと推測され、その祖 Sugerius或はRalphを通じてAnnet-sur-Marne Orphelins 家と関係があり、さらに後者を通じてGarlande 家と繋がる。
シュジェールの家系は、その内の一人Sugerius miles が示しているように、富農にして騎士を出し得る<milites minores)の家系と考えられる。これらの類似の家系は、ルイ六世(11081137)、ルイ七世の時期に、旧来のカロリング期に繋がる延臣層を排して登用され、王権の拡大強化をもたらした<chevaliers royaux)の家系であったと考えられよう。シュジェールはその著作等を通じて、絶えず自らの生れ、その肉体の貧相さを繰返し卑下したし、周囲も彼の業績と対照させながら同じことを繰り返したが、少なくとも彼の生れは、従来考えられていたようなものではなく、むしろ彼が属した時代と地域の新しい権力構造を構築しようとしていた層の、一部であったと考えるべきではないだろうか。


